今年(令和三年)を振り返るニート(2021)

関心全般
関心全般(26)
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まずはタイトルから話していきましょう。

タイトルつけながら、そういえば、自分をニートと呼ぶことに抵抗がなくなったのはいつからだろう、と考えたのでした。

長いことニート状態ではあるはずなのに実のところ自称ニートしている期間はそう長くはない。

自分の変化なのか、環境の変化なのか、どちらもあるとは思う。

10年くらい前とはニートという言葉への風の当たり方も変わっているように思う(、というとニート歴が知れますが_(._.)_)。

このブログが更新も多くないまま、3年くらい経ってしまったのだから、始めたころにはニートと自称している状態だったのは間違いない。

歳を重ねるメリットの一つは、経験を適当に盛ってもバレにくいことである。

3年くらいブログやっているといえばそれなりに聞こえそうだが、頻度として月に一度程度も更新していないので、毎日更新していれば1ヶ月程度のボリュームでしかない。

あるいは歳を重ねるメリットの一つは 、したことのない経験を忘れたことにしてもバレにくいことである。

「あー昔ちょっとやったことあるけど忘れた」といえるほうが、「あーやったことないです」よりは断然貫禄がある。

さらに、なんとなく「それをやってみるくらいの気概はあったことがある」、というポジティブな返事をすることができるというオマケ付き。

さらにさらに、「それは”以前”は、やった、やる気がありました」という、「すでに自分が通り過ぎたところ」の雰囲気まで出せてしまう。

そしてもちろんこれは体験的な経験以外にも使えるし、むしろそちらのほうが、(体験的な経験だとやったことあるのにこれ覚えてないの?となりやすいと思うので、)都合が良い。

同時に、こうした誤魔化しの区別の難しさために、年寄りの話は流し聞きされることが多いのかもしれない、とも思ったりもする。

話がもうかなりズレているけれども、こうして考えていると、適当な嘘を織り交ぜることの重要さ、というのもわかってくる。それが単に社交を円滑にするためにするだけであるならば、それは善い嘘である。もちろんこの判断は容易とは言えないけれども

ええと、何の話してたんだっけ。

そうだ、今年したことを振り返るのでした。

ニートが今年したこと(2021)

課せられぬものとしての存在であるニートですが、何もしていないわけではありません。

家事手伝いではなくとも家事をすることもあります。

家事手伝いとは、単に家事の手伝いをするがゆえに家事手伝いなのではなく、家事手伝いであることを認められた存在であるために家事手伝いを名乗るものなのです。

それゆえにここには、この場所でニートであることを認められた存在としてのニートしての私が今年したことを記していこうお( ‘ω’ و( و”♪

【 ニートが今年したこと】読書

いわゆる乱読ですね。

何のために乱読したかというと、書籍・書物とはどんなものかを把握し直すためでした。

私はこれまで何でも基本的にインターネットで済ませることが多かったので、けっこう長い間、読書・書籍からは離れていました。

インターネットの情報と書籍との違いは、関わっている人の多さ、言い換えれば責任を構成している人の違いです。

そしてそれに付随して、その責任体系で可能な表現、それから、逆に難しい表現というものもあるかもしれません。

つまり、多くの人に価値のないと思われそうな文章を垂れ流すようなことは書籍では難しいわけです。 今まさに書いているこの記事のような歯切れの悪い書き方も好まれませんね。

反対に、多くの人に価値があると思われそうな文章は、ネットに垂れ流すのは勿体ない、相応しくない、だからそうした文章はやはりネットには相対的に少なくなるはず、と推測できます。

それから、私もブログを書く手前、価値のある文章の基準が欲しかったという動機もあったりします。

それ ―つまり価値のあると思われそうな文章―が書籍の世界ではどのように広がっているのか参考にするために色々なジャンルの本に目を通していました。

乱読といえば「Kindle Unlimited」のような読み放題サービスがサービスとしては候補に挙がるのですが、残念ながら「Kindle Unlimited」には対象の本の種類に偏りがあるので、実際にはあまり乱読には向きません。

それでも、軽めの本で最近出たような人気の本が対象になっていることもあるので、併用するには便利ではあります。

まあ読書論みたいなものもまた別の機会があれば書いてみたいですが、ざっくりとした感想としては、最も価値のある読書は「趣味の読書」です。

それは多くの場合、文学的な本でありフィクション的な本を指します。

それ以外の本は書籍以外でも見つけられるものと比べて、総合して優れているというわけではないと感じました。

これ以上は別の機会に書きたいことですが、結論だけいえば、「本は別に読まなくてもいい」。

読書観でいえば、書籍の中には手放しで読書を推奨する本がたくさんあります。

もちろん、「好きなだけ読んでもいい」とも思います、しかし、その読書には、より良い代替があるかもしれないこと、それからほかにも大切なことはたくさんあるだろうということ、そして読書はそれらほかの大切なことに比べて、特別に優れているかどうかはわからない、ということ、これくらいのツッコミを入れながら読めなければ、危うい読書になる、とも思うんですよね。

読書に確実に良い効果を持たせるにはある程度のリテラシーというか分別能力が求められます。 そしてさらにその分別能力の質を確かめるには読書にとどまらない活動が必要になってくると思うんですよね。そしてそのとき、読書の価値は、すでに読書そのものを離れており、その活動の本質は読書である必要はなくなっているのではないかと。

こうした活動は単に読書と言うよりも 他に相応しい言葉があると思われ 、適当にあげてみると「勉強」「研究」「批評」「考察」「論考」「議論」等々…。

なので逆にいえば、「読書の価値」と言って与えるべきな必要十分な価値は、今挙げたものを除いたものではないだろうか、と思うわけです。

ところで、読書の優れたところでもあり恐ろしいところは、自分がそう意識せずとも、自分に影響を与えるというところです。 私が「本は別に読まなくてもいい」と言ったところで、「本から受けた影響はない」というわけではありませんし、そう言ったとしてもそんなことはないわけです。

もっとも、何かしら影響を受けるのは社会性を帯びたすべての活動に当てはまることですし、書籍を人に見立てて考えてみれば、全体としてその辺りにいる人たちよりは真っ当であると見做されているとは思うので、相対的なリスクはそれほど高いというわけではありません。

ちなみにここで読書とは、教科書だとかの類は除いて考えています。教科書の価値は書かれている内容そのものよりも、その位置付けにあると思われるからです。それに、教科書を読むことをあまり読書するとは言いませんよね。その他、書籍という媒体でしか取り扱いがないだけのものはここでの読書に含めていません、厳密に言おうとすると難しいんですが、私は読書行為の価値の本質を、社会的、あるいはコミュニケーション的な側面に見ているということはできるのではないかと思います。

ちなみのちなみに、教科書ではやはり理系の教科書のほうが優れていると思います。その理由は目的と理解、定着と応用するための構成がしっかりとしているからなのですが、まあこれはそもそも、文系の方が教えるための共通理解、共通認識を得ることが難しいと思われるため、そういった教科書を作るのが難しい、ということもあるとは思われます。

「本は別に読まなくてもいい」 とは言いましたが、「本は色々と役に立つ」ことは間違いないと思うので、読んだ本から考えたことなど色々と書いていけたりしたらいいですね。

絵本とか児童文学ってなかなか良い要素が詰まったジャンルなんじゃないかなーと思うのです。

【 ニートが今年したこと】ゲーム

プレイしたゲームの数よりも、積んだゲームの数の方が多い(Epic Games並感)。

みなさんもうご存じだと思いますが、Epic Gamesでは年中毎週無料ゲームがもらえます!(営業並感)。

そしてこの年末年始の時期には毎日もらえます!!

そんなゲームをもらい続けて早何年?2年?※3年らしいです

100本以上のゲームが集まっています!!

AmazonのPrime Gamingも毎月ゲームをくれるし、Prime Gaming経由とか直接とか、Ubisoftとかまあ色々入れるだけ入れて… 積んであります…。

まあ…結局もらったゲームではなく他のゲームをしてるほうが多いんですけどね…。

結局これなんすわ。そういえば人間は、当たったときではなくて、当たるかもって思ったときにドパミン(興奮物質)が出るらしいですね。だとすれば、ガチャは当たらなくても楽しんでいることになりますね。

でも一ヶ月毎日ログインしても旗しかもらえないのはどうかと思います!!

🙁

むーやっぱりぼくは島村卯月ちゃん!!

タイトル: 敗北

🙁

まあまあ、そんなこんなで積んでるゲームを少しずつでもやっていけたらいいとは思っていて、せっかくだから記事にもできたらいいんですが、ゲームのプレイングの配信ってグレーゾーンが混じっててややこしいんですけどどうなんでしょうか。

“Let’s Play”-friendly developers Wiki | Fandom

こいうふうにまとまってればまだいいんですけど、Epic GamesにしてもSteamにしても、開発元とは違うので、書いてなければやはり個別に開発元に確認を取るのが筋ということになりますよね。

まあこのあたりは世界的な流れとしては、やってみてダメだったら取り下げれば良いってのも現実的なところとしてあるとは思うのです(有名人や大手のところだと予め確認を取っているとは思うのですが)。

開発元としてはグレーゾーンを黙認という形にしておくことは、いつでも自分の都合で禁止する権利を留保しているということでもあります。一度「許可」をしてしまうとそこからの変更はどうあっても反発を生みますから。

私なんかはそういう状態でレッツゴーするのは、もやもやしてしまうんですが。

そもそもゲームは友達と気軽に楽しむものだとして、ゲーム会社はそれらのコミュニティに与するのも使命の一つだとするならば、コミュニケーションの多様化した現代社会では、あからさまに自己の利益を追求し、かつ開発元の(潜在的)利益を損ねるのでもなければ、動画削除程度以上にはならない話なんじゃないかなとは思うんですけどね、しらんけど。

そういえば、今年はファスト映画が問題になりましたね。私はYouTubeとかあまり見ないので実態はよく知りませんが、ようするに著作者の権利にまるっと含まれるようなことを、必要の範囲を超えて勝手にやったのが問題ってことじゃないのかなあと思います。必要ってのは引用のことですが。

一方で、文化庁は、ごく短い内容紹介、もしくは映画の映像や静止画を感想や論評を紹介するために一部で従属的に使用する場合などは、著作権者の了解は必要ないと判断している[3]。ただし、ハリウッド映画など欧米ではこれらがフェアユースによる許可が下りているという誤解がネット上では横行しているが、2016年にアメリカでスタンリー・キューブリック作品を解説したユーチューバーが約1600万円の損害賠償を求められる[41]

このようにファスト映画に関しては様々な議論があるが、ファスト映画の作成者および配信者側の主張は全て退けられると考えて良いとされている[42]

Wikipedia – ファスト映画#違法性

少し話が逸れますが、人の褌で相撲を取るといえば、2ちゃんねるの嫌儲思想なんですが、これもまた別の機会に書けたらいいなあと思います。

ホラーゲームというジャンルは、ホラー映画には足りない、能動性の要求による没入感を良い感じに満たしてくれます。とはいえずっと遊べるタイプのゲームではないのでフルプライスだとゲームとしては少し割高に感じてしまいますか。

【 ニートが今年したこと】 映画鑑賞

図らずもゲームから映画の話にいい感じの流れになりました。

鑑賞って言い方好きじゃないんですが他に良い言い方もないので。

「動画系」コンテンツだと映画をよく見た年でした。

そうはいっても均すと週に一本くらいの頻度なので全然なんですが。

しかもほぼアマゾンのプライムビデオのことなんですけどね、テレビを録画するのもメドイので。

ほかのサブスクわざわざ登録しようとは余裕がないというか、まだ適当に見るものがある間はこれで十分って感じですね。

読書に絡めていえば、文学的読書、フィクションの本が、それも人気の作品が映画になることが多いので、結構代替にもなり得ますね。ただやはり本で読むのとは別の体験ではあります。

映画にしても最近のものよりも少し古いもののほうが面白いような気がしますね。いろいろと工夫してる感が好きというか。

ちょいと暴力的なシーンが多い映画ですが『Fight Club』は、たぶん放送大学の文学批評への招待(2018)で紹介されていたのがきっかけで見た映画ですね。大学生くらいならおすすめもしてみたいですが、PG12ですし小学生には刺激が強すぎるかもと思います(小並感)。

【 ニートが今年したかったこと】 SNS

SNS続いたことがない。

【 ニートが今年したかったこと】 ブログを毎日更新する

私は、なんでもやり始めてから、それが当たり前なるまで大体一年くらいはかかるみたいなんですよね。

なので今日から毎日更新するかもしれません。

うそです。

言ってて全身ゾゾタウン1になったので多分無理ですね。

ごめんなさい。

【 ニートが今年憶えていること】 スポーツを中心に

私の一年の季節感はスポーツ中心になっているんですよね。

今年の流れとしては、

なんかの駅伝→選抜高校野球→プロ野球開幕→ウィンブルドン(テニス)→甲子園高校野球→オリンピック→プロ野球日本シリーズ

これに大相撲と将棋が加わる感じですね。こうしてみると大体NHKで事足りてますね。

最近のこの辺りの動向の感想としては、羽生善治、白鵬、ロジャー・フェデラーといった、スポーツ界のレジェンドがついに一線を退いて、という感覚ですね。※敬称略

この辺り次の世代が来るのか来ないのかいいよこいよって感じで来ないと寂しいところなんですが、大谷翔平や藤井聡太あたりは、すでに次の世代のレジェンドという感じですね。やっぱりレジェンド級の存在がいると盛り上がりますよね。

何様感で話してみましたが、これが歳を取ったということなのか…?

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