批評の方法について

思索
思索(4)
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この記事では、批評をブログで取り扱うために必要なことについて考えています。

批評と批判

批評(ひひょう、英語・フランス語:critique)とは、ある事象を(できるだけ無前提の思い込みを排する形で)判断することである。批判(ひはん)とも。

批評=批判は一緒にしちゃだめじゃないかな、というのは実運用的ツッコミだけど、批判という言葉のイメージが悪いだけということなのか。批判というと、辞書の意味はともかく悪いところを指摘する、って意味で使われてるよね。

仮に批判を否定的なものとするなら、批判の逆は賛辞になろうか。賛辞でもなければニュートラル、というところで「考察」だろうか。理由もなければ「感想」かな。

ここでは批評と批判は区別して、批判+賛辞=批評という分類でいく。

批判と悪口の違い

【短考】感想と批評の違いとはなんだろう?: 短歌ウルフR(Accessed 2019-06-27)
こちらのページによると、批判も悪口も否定的なところは同じだが、批判は客観的で、悪口は主観的、ということらしい。でもそれってはっきり区別できない気がする。

悪口ではなくて批判のつもりでも、受け手が否定的なものは全部嫌だ、という場合もあるから難しい。悪口はともかく、特に公開された表現であれば、批判は甘んじて受ける義務があるのではと思うけど、本人が「批判は受けます」、といっても、悪口が飛んでくる場合もあるし(でも言った当人は悪口だと思ってなかったりややこしや…)。それって悪口ですよね、といえるものかどうか…。こういうのもやっぱり、明確な線引きはないものなのかなと。

社会では残念ながら、区別はつかないです。 自分で悪口いってるなと取れたり、相手が悪口ととらえたら悪口です。

現実ではこうなっちゃうよね。批判を受け取る能力がある相手にしかそもそも批判をする価値がない。批判かどうか、受け止めるかどうかは結局受け手が決める。そういうつもりではありませんといったってダメ。特に一対一とかだとどうしようもない。

批判を受ける力

批判を受けたい人ってもうマゾヒストくらいしかいないんじゃないかってツッコミはさておき、批判をする力、批判を受け止める力、これってまともに人とやりとりしようと思えば必要な力のように思えるけれども、当たり前に期待していいものではないのが現状かと。

逆に言えば、きちんと批判を受けたければ批判を受けるポテンシャルを示していかないといけない。批判してくれるなって言ったところで、結局はどこかで悪口を言われるだけだ。どっちみち不満が出るのをどうこうできるわけじゃない。上に書いたとおり、悪口と批判の区別はつきにくい。批判を満足にしてもらえる人は、悪口でさえも受け止める器量が必要、ということだろうか。

悪口は全部批判に昇華される世界がいいなんて考えたけど、現状批判でさえも、むしろ受け手の能力が足りなくて、批判が悪口と受け取られてしまうことのほうが多そうだなと思ったり。

批判ではないもの

批判も受け手によっては悪口と受け取られかねない、とは言っても、受け手に関係のない悪口もある。 この違いは私は建設的かどうかだと考えている。目的が建設的でなければ悪口。良いところと悪いところを明らかにするというのはもちろんのこと、その必要性についても考える必要があるのではないか。

批判が正しい批判であるためにはその批判や指摘の必要性を示す、あるいは共有されれなければならない。これが例えば差別と区別の違いであり、表現の自由とヘイトスピーチの違いではないか。批判と悪口の違いは、客観的か主観的か、とあったが、それだけでは不十分ではないかと思う。

批評できる場所

そう考えてみると、批評してもいい場所ってのは、かなりオープンな場所でしかないのではと思える。オーディエンスが必要ということだろうか。逆に言えば、どれだけオープンであるかで、批評をしても良いかどうかが判断できそう。あるいは、オープンな関係。どうぞ批評してくださいという相手。上下関係がある場所では、上とされる側がかなりオープンであることをアピールをしないと難しい。

批評の手段

では実際にどのように批評が行われるのかというと、よく考えてみると直接批評するほうが少ないのではないか。角も立ちやすいし。本人不在であれこれいう場面も多いと思うが、本人以外との批評の共有となると、また違ったややこししさがある。この場合、広い場所に、批評を持ち寄るイメージ。例えばインターネットもそうだろう。

意図的に本人を締め出せば悪口になってしまうが、本人との関わりが薄ければ敢えて伝えるのも難しい。そう考えると、本人に伝わっても伝わらなくても、いつ伝わっても良いように、そして基本的に第三者に役立つように批評しろってことになる。批評と言うよりも正確には情報や考え方の補完(考察)だったりする。そう考えてみると、本人に伝えることを前提としていなければ、それはもう批評とは呼ばなくなるのかもしれない。

褒めるのも難しい

批評とは良いところと悪いところを明らかにすること。というわけで、良い批評は良いところも明らかにしなければならない。誰だって批判されるよりは褒められる方が嬉しい(どちらも興味がない人は除くけど。)わけだし。褒める、はちょっと違うか。良いと思うところを挙げる、ということ。批判しながら良いところも挙げておくっていうのかな。批判も賛辞も一辺倒だと批判する人の軸が見えにくいということもある。批評をするならその批評への批評も受け入れなければならない。批評者としての姿勢を示す意味でも必要かなと思う。(自分で書いてても難しいんだなーと思うけど。)

批評の方法

いろんなところで、こう書きなさい、と書かれていると思うが、上に書いた通り相手と時と場所を選んで目的を守ればそこまで気にする必要はないんじゃないかっていうのが個人的な答え。というかそれらを守っていれば自然と価値のある内容になるんじゃないかな、と。そりゃ主観的よりは客観的、否定よりは肯定、わかりにくいよりはわかりやすく、とかいくらでもこだわることができるけど。こだわって完成しないタイプに贈る言葉「Done is better than perfect1」ってのもある(自戒)。もちろん批判には批判が返ってくることもあるけれども、そうやって成長していくのが人生の王道、ということは肝に銘じて置きたい(自戒)。

最後に

今回はブログで取り扱うために主に表現する時に気をつけることを考えた。批評的に考えることはどんなときでも大切なこと。考え方についてはクリティカル・シンキング2等も参考に考えていきたい。

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